松本のあゆみ
平安時代には信濃国府がこの地に置かれ、中世には信濃守護の館の所在地として、江戸時代には松本藩の城下町として栄えました。
明治40年5月1日に市制を施行し、その後、近隣の村との合併を経て現在の市域が形成され、平成19年には市制施行100周年を迎えました。
明治から、製糸業を中心とした近代産業が勃興し、大正3年には日本銀行松本支店が開業されるなど、長野県下における経済金融の中心地となりました。近代工業化は第二次世界大戦中の工場疎開に端を発し、さらに昭和39年の内陸唯一の新産業都市の指定が契機となって、電気・機械・食料品等の業種を中心に発展し、最近ではソフトウェア産業の振興が図られています。
商業は「商都松本」とも称されてきたとおり、中南信の商圏の中心として大きな商業集積を形成してきており、平成14年1月に竣工した12haの中央西土地区画整理事業、蔵のまち中町(なかまち)街なみ環境整備事業、縄手(なわて)通り整備など個性ある商店街が出現してきています。
松本の名前の由来
松本地方は「信府統記(しんぷとうき)」に「此地信州府中ニテ、所ノ名ヲ庄内ト言フ、古此辺ヲ深志トモ又深瀬トモ称ヘ来リシ」とあるように、かつては府中 (ふちゅう)や庄内(しょうない)、深志(ふかし)などと呼ばれていました。それが松本と呼ばれるようになったのは、天正10年(1582)、小笠原貞慶 (さだよし)がこの地に入封し深志城を改め「松本城」と命名したことによるとされています。
貞慶がこの松本という名を取り入れた理由は
1. 貞慶が、父祖の旧領を 回復したいという本懐(願い)を待つ(松)こと30余年でかなえられたので「松本」と称した。
2. 小笠原家の末家・伊那の松尾に対して、深志の小笠原家は宗家=本家、つまり松尾の本で 「松本」と称した。
など諸説ありますが定かではありません。
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